ミサ曲_ロ短調_各曲解説_J.S.Bach
BWV 232 Messe h-moll
ミサ Missa
第1曲「Kyrie eleison」会堂に響く悔い改めの叫びとも形容したい真摯な4小節のトゥッティが曲を開く。ルターがグレゴリオ聖歌に基づいて制定した「ドイツ・ミサ」の旋律によるものである。次いでラルゴの主部に入り5声のフーガが、息長く展開される。テーマはJ.H.ヴィルデラーの《ト短調ミサ》に由来する。「嘆き」を表す半音進行の音形による主題は、平均律クラヴィーア曲集第一巻 ロ短調 のフーガとの類似することも付け加えておく。
第2曲「Christe eleison」三位のうち第2位格・キリストに呼びかけるソプラノの二重唱。歌声部は甘美な平行進行を続け、時折現れる準固有和音が音楽に彩りを添える。ヴァイオリンはユニゾンでオブリガートを奏し、ギャラント様式に接近した楽曲という見方もある。
第3曲「Kyrie eleison」神への新たな呼びかけは、荘重な古様式による4声のフーガとなる。第二音に置かれたナポリ6度の変化音は、主題に斬新な効果を添える。後半に頻繁に現れるテーマの重なりや階悌導入の書法の美しさは特筆に値する。
第4曲「Gloria in cxcelsis」天使の奏楽とも例えるトランペット3本の合奏、3拍子など、「3」の象徴が支配的である。1743~1746年ごろ、次曲とともにBWV 191に転用された。
第5曲「Et in terra pax」全曲が100小節進んだところで、地上の平和を祈るなだらかな音形による4拍子(血の象徴)の部分に入る。全体の音域は一度低くなるが、まもなく生き生きとした上行音形で始まるテーマによるフーガが起こり、メリスマや管楽器軍の再帰を伴い、あたかも天地を総合するかのような壮大なクライマックスを築く。
第6曲「Laudamus te」第2ソプラノと独奏ヴァイオリンが協奏するアリア。各所に装飾的な音形が散りばめれられ、高らかに神を賛美する。
第7曲「Gracias agimus tibi」BWV29の転用による、古様式モテット風合唱曲。順次進行、完全4度内に収まる滑らか且つ簡素なテーマは、「素直さ」を纏い感謝の念を伝え、その重なりは深い感動を生む。
第8曲「Domine Deus」弱音器付きの上弦、ピッツィカート奏法によるコンティヌオの上でフルートが走り出し、二重唱を導く。歌声部は模倣と合体を繰り返して、「父」と「子」の同一性を表現する。
第9曲「Qui tollis」BWV46第1曲を原曲とする4声合唱曲。人間の罪を黙想するかのような内省的な気分が支配する。2本のフルートがカノン風のオブリガートで全体を包む。
第10曲「Qui sedes」オーボエ・ダモーレの表情豊かなオブリガートを持つアリア。バッハがアルトにしばしば託した、憐れみのアリアの一つである。
第11曲「Quoniam tu solus sanctus」ホルン・ソロに2本のファゴット、通奏低音という特異な編成の4重奏を背景に、バスが低音域で歌う。唯一神の神聖さが、確信を持って表現される。
第12曲「Cum Sancto Spiritu」バスのアリアはそのまま、輝かしい終曲へと流れ込む。〈グローリア〉冒頭の合唱曲に対応する終曲は、ホモフォニー部分とフーガ部分を自在に使い分けながら、エネルギッシュに展開する。「Gloria」の歌詞に当てられた上行系のメリスマは非常に前向きで、軽く高らかに神の栄光を称える。
Symbolum Nicenum
第13曲「Credo in unum Deum」4分音符の歩みを続ける通奏低音の上で、合唱5声・ヴァイオリン2声の計7声部から成る。7声もの声部を、崩壊することなく自立的なポリフォニーを展開させるバッハの手腕は特筆に値する。後半に出現するバス声部の拡大テーマがあるが、このテーマがギリギリ聴こえるテンポ設定が妥当であると思う。
第14曲「Patrem omnipotentem」BWV171第1曲からの転用。父への信仰告白がここでも繰り返される。通奏低音は前曲を引き継ぐように8分音符が全体を支配し、ホモフォニー部分とフーガ部分がバランスよく配置される。最後は管楽器も加わり華やかに終止する。
第15曲「Et in unum Dominum」ここから、キリストへの信仰告白となる。第8曲と同じく二重唱として作曲されているが、2声部は厳格にカノン的模倣で進行する。楽器もカノン的構造に参加するが、彼らは、神とキリストは同質であるがペルソナが違っていることを注解する。
第16 曲「Et incarnatus est」以下の3曲が〈信経〉の中心を成す。この楽章は最後に書き加えられた。カトリック世界で重んじられた処女降臨の神秘を嫋やかに歌う。ペルゴレージの《スターバト・マーテル》から影響を受けたともいわれる。
第17曲「Crucifixus」BWV12第2曲のパロディ。〈信経〉のシンメトリー構成の中心をなす合唱曲。全曲中最古の楽曲であるが、見事な補筆によって、違和感なく全体と融合している。形式は、ラメント・バスに基づくパッサカリアで、十字架の苦しみが、大胆な不協和音によって表現される。最後の5小節では、器楽が停止し、合唱が低い位置に沈んで、死を暗示する。
第18曲「Et resurrexit」続いて復活の喜びが、爆発的に謳歌される。世俗カンタータBWV Anh.9 第一曲のパロディ。自由なダ・カーポ形式によっており、時折現れる上行系の駆け上がるような音形が印象的である。
第19曲「Et in spiritum Sanctum」信仰告白の視点はここで「聖霊」へ、そして「普遍なる教会」へと向けられる。2本のオーボエ・ダモーレが、睦まじいデュオを繰り広げる。バスは高音域で書かれたラインの美しい旋律を流麗に歌い上げる。
第20曲「Confiteor unum baptisma」洗礼への信仰告白。古様式の5声フーガで、典礼旋律がテーマに組み込まれる形で巧に引用され、定旋律を担当する。末尾「死者の蘇りを待ち望む」の句はアダージョに転じ、頻繁な転調や第6音上方変位等によって神秘的な気分を呼び起こす。
第21曲「Et expecto」BWV120第2曲のパロディ楽章。しかし入念な改訂によって、新作に等しい充実が与えられている。上行系のアルペッジョで奏される「喜びの音形」が力強く響き渡る。あたかも未来への期待をこめるかのような、力強い盛り上がりを見せる。
第3部
第22曲「Sanctus」大編成を動員しての、万軍の主への賛美。合唱は6声、通奏低音を覗く器楽パートは、トランペット3声、オーボエ3声、3声部のグループに分割されている。こうした「3」の支配はセラフィムが「聖なるかな」の言葉を3度呼び交わしたことにちなんでおり、すべての小節に、3連符が満ち溢れている。
第23曲「Pleni sunt coeli」4拍子を3拍子に変え(3/8)、テンポを速めて追い込む。ヘミオラを含む軽やかなテーマによるフーガ。3度や6度音程で重ねられ2パートが同時にテーマを歌うことも興味深い。
第4部
第24曲「Osanna in excelsis」〈オザンナ〉はカトリック・ミサ曲では〈サンクトゥス〉の締めくくりにあたる部分。ここではそれが大規模な独立曲となり、2群の合唱によって展開される。世俗カンタータBWV Anh.11, BWV215を経て転用されたものである。
第25曲「Benedictus」フルート(ヴァイオリン説もある)の流麗なオブリガートを伴う、テノールアリア。バッハの時代のカトリック教会では、大規模ミサが執行される場合には「Sanctus」と「Benedictus」は切り離して歌われ、その間に司祭は聖変化の儀式を行った。その間、司祭も会衆も沈黙してキリストの聖体に思いを集中し、その後に「Benedictus」が歌われたことから、バッハも必然的に静かで瞑想的な曲を用意したと考える。その最初の語のときは、十字をきって聖体への崇敬を表すほど敬虔な瞬間である。
第26曲「Agnus Dei」世俗オンタータBWV Anh.196/Anh.14, BWV11を経て転用された音楽であるが、かなりの修正が行われている。ユニゾンのヴァイオリンに伴われて、アルトが憐れみの祈りを捧げる。
第27曲「Dona nobis pacem」〈神の子羊〉のテキストの最後の1行が、ここでは独立した合唱曲となっている。音楽的には第7曲の再現の形をとり、荘重な賛美の調べに平安の願いを重ね合いつつ、高らかに曲を結ぶ。
《概要》
《ロ短調ミサ曲》は、バッハの声楽曲の中でも最も親しまれ、演奏される機会も多い。しかし、一バッハファンとしてはラテン語による曲がかくも際立っているというのは、少し奇妙にも感じる。バッハがルター主義者であったことは周知の事実であり、彼の声楽曲の大半(カンタータ)はドイツ語のテキスト、またルター派の讃美歌(コラール)を創作上の重要な基礎としている。このねじれた構造の根本的な要因は、おそらく両者の歌詞に求めることができると考える。カンタータの歌詞は極めて詩的であり、また言語的&神学的にも、時代ごとの趣味の変化に左右される。しかし、ラテン語による礼拝音楽の歌詞は時代を超越しており、永久に用いられる。さらに、ラテン語の歌詞に作曲することは、バッハの職務上、極めて重要な仕事のひとつであったことも忘れてはならない。マルティーン・ルターの行った礼拝式文の改革は、ラテン語を排除しようというものではなかった。実際ルターの礼拝式文は、ラテン語の「正規ミサ」から日常語による「ドイツ・ミサ」に及んでおり、ミサにおいて両言語の混在が許されていたことが分かっている。
《ロ短調ミサ曲》は、ミサ通常文全体を通して作曲した、バッハ唯一の通作ミサ曲である。1748年8月〜1749年10月,ライプツィヒにて成立。カトリック的な相貌をもっているが、内容的には宗派を超越した普遍的な作品であるように思える。事実上、バッハ最後の完成作となったわけであるが、種々の様式が時間、地域を超えて多彩に結合されており、音楽的大宇宙の趣が感じられる。バッハの生前に全体が演奏された形跡はなく、作品は事実上バッハの遺産として、後世に委ねられた。1812年にはツェルターがベルリンのジングアカデミーにおいて、非公開の全曲初演を行っている。全曲演奏が一般化するのは1800年代に入ってからのこと、全曲の出版は1856年の旧全集版が最初である。
自筆総譜は4つの部分に分けてまとめられており、段階的な成立を示唆する。第1部はそれ自体〈ミサ〉と題され、独立したミサ・ブレヴィスとなっている。これは1733年に完成された。第2部〈ニカイア信経 Symbolum Nicenum〉はいわゆる〈クレド〉の章であり、第4部とともに、1748〜1749年に変作された(準備は1740年代前半から行われていた可能性がある)。第2部には、オリジナル楽曲が比較的多く含まれ、総合ミサ曲の核心部と解される。第3部〈サンクトゥス〉は、クリスマス第一日のルター派礼拝のために、1724年にライプツィヒで作曲されたものの転記。ここに含まれない〈オザンナ〉以下が総譜では第4部を成し、その多くの曲が旧作のパロディ(転用)である。
自筆総譜のこうした外形から、《ミサ曲 ロ短調》は4つの個別的な楽曲の集合に過ぎないとする説が、F.スメントによって唱えられた。しかしこの説はその後否定され、バッハ自身が明確に通作を意図したものとみるのが常識になっている。通作ミサ曲を礼拝で用いる習慣は、ルター派には存在しない。しかし、この曲がカトリック教会のために書かれたとする説にも、裏付けは見出せない。純粋なカトリック教会音楽から逸脱する特徴も見受けられるため、《ミサ曲 ロ短調》は、晩年のバッハが、カトリックをもプロテスタントをも超える「汎」宗教的音楽として完成させた普遍的作品であり、作曲から200年以上の時を経ても燦然と輝く、未来永劫に愛される傑作であると確信する。
参考文献 :
『バッハ事典』”Das Bach Lexikon” 礒山雅 / 小林義武 / 鳴海史生
『バッハ・デジタル』“Bach Digital 2008–2020” Bach-Archiv Leipzig ライプツィヒ バッハ研究所
『ニューグローヴ世界音楽大事典』 “The New Grove Dictionary of Music and Musicians”
圓谷 俊貴